30過ぎて感じたこと
30過ぎていろんなことの感じ方が変わった。
一番大きいことは今後自分のライフスタイルをどうするかって考えだす。
最近、休みの日は外にあまり出なくなった。自分の時間ってのが凄く大事になってきてる。
昔は目的もなく外に出てることがあったが、自分の部屋にいることが好きになってきている。他人に時間を奪われたくない思いが強くなってきている。
時間は有限で、死を意識し始めただからだろうか。
楽しみが少なくなってきてるってのも理由かな。この前、クラブ〈踊るほう〉に久しぶりにいったんだけど、全然楽しめなかった。よく毎週のように遊んでいたなあって思った。ナンパとかするエネルギーもなくなってた。
というか仕方が分からなくなっているだけかもしれないが。
歳をとるにつれて、なにか楽しもうとするとそれなりに金がかかる。
大学生のころなんかママチャリで行ったことのないめちゃ遠いところに行くだけでワクワクしたのにね。金かからずに楽しめた。
今は車でないと楽しめない。でも車買う金ないし。
あとはやっぱり仕事なんだよね。この年齢である程度軌道に乗ってないとやばいかもしれない。30以降、仕事が楽しいって思えるかどうかは、良い感じにレールにのっかてるかどうか重要になる。俺はレールにのっかれてないから結構ヤバいかしれない。
結局仕事かなあ。30以降の人生の良し悪しって。
いい給料もらって金ないと趣味も充実しないわ。
書いてきて、なんだか鬱になってきたから筆を置こう。
歳をとるにつれて地元がアリになる
最近久しぶりに地元に帰ってきた。
関西の田舎なのだが、20代後半までは自分の地元が好きになれなかった。やっぱり東京に上京してきて比べてしまう。
車がないとどこにもいけないし、東京と違い、外を歩けば目や耳に飛び込んでくる情報が少ないから感度が低くなる。
あらゆる面において、都会に負けてる気がしていた。
でも30を超えて、地元が「アリ」になってきた。
もう情報を受け取るのもしんどくなってきたのかな。そもそも俺が欲しい情報って
そんなになくてネットがあれば充分なんよね。ネットがあれば、近所にスーパーがあれば事たりるかもしれない。
地方都市には地方都市の良さがあって、そこで楽しめるかどうか。
いつまでも東京崇拝してたら、歳をとるだけで金なんかもいつまでたってもたまらんし。
物価たかいからね、東京。
んなわけで、いまになって、地元の良いところを探してみようかと思う。
芸術の枠組みを利用した芸術まがいのもの
最近のアートって芸術の枠組みを利用したモノが多すぎると思う。
どういうことかというと、芸術っていう名前を利用した作品ね。 例えば、チンポムっていう自称アート集団がいるんだけど、この人達の作品をみたの。なんかねピンクのゲロを女の子が吐き続けるっていう映像作品。結構チンポムってネットでは叩かれてるみたい。
サブカル気取りだとかエセアートとか言われてる。確かに俺も彼らの作品を見た時、スゲえっていうより、少しイラっときたんよね。
で、なんでイラっときたか考えてみたの。
これはきっと、芸術と称して思いつきみたいにやってる事に起因する「あざとさ」にイラっときてると思うの。
つまり芸術という「枠組み」を利用して表現しているだけ。目的や思想はなくて、思いつきでやっているだけ。 ただ目立ちたいとか、きをてらって、どや過激なことしとろやろーって感じちゃうのよね。 俺が捻くれてるだけやろか。 俺は例えばお笑い芸人が笑いを取るためにシュールなことをやっている方がよほど芸術的に感じるよ。
でも最近はこういうの多いよなあ。 参るわ。どこいっても疲れる
やばい。どこいっても疲れる。休みの日、20代前半はイベントとかあって、いろいろなところに行っていたが、最近じゃまるで人ごみの中に行って疲れに行ってるように感じる。
おまけになんか楽しめない。
やばいなあ。歳かなあ...
ブログを書く理由
ブログは素晴らしいと思う。
例えばいわゆるノートとかに日記を書く行為って、人に見られるかもしれないっていうのを前提に書いてる気がするんよね。ノートっていう「モノ」がある以上、絶対に人に見つからないっていう保証はないわけで。だから、自分の書きたい事は書いてるんだけど人に見られるかもしれないっていう変な自意識は存在する。
そんなややこしい意識を抱えたまま日記を書いてるもんだからイマイチ中途半端なものになるんよね。100パーセント言いたい事吐き出せてないっていうか。
フェイスブックとかはさらに「制限」されて、本音とかは絶対書けないよね。友達もみてるけど、取り引き先の客もみてるからね。あれは結局「営業ツール」なんよね。友達に対しても。友達に対しても自分を宣伝して、今度飲もうっていう。
ブログは日記とSNSとの中間みたいなもんで、人に見られる前提で書く。人に見られる前提ということは、目的がはっきりしてくるんよね。物を紹介してアフリエイトで稼ぐためにかくとか、ストレス発散するためにかくとかね。
要するにはっきりとした自意識のもと書いてるから、内容の輪郭がハッキリしてくるっていうか。
私の場合は言いたい事を戯言にように書く目的で書いてるだけだから余計なこと考えなくて、ストレス発散するわけ。
で、やっぱり聞いてくれてる人がいた方が発散できるねんよ。やっぱり私はカラオケに一人でいけないし。聞いてくれる人がいないと虚しくなる。ブログは読んでくれること前提で書いてるから文字を使って発散させようと思うの。
日記とかは読まれる「かもしれない」部分があるから書く気にはなれない。
ああ、ブログはええなあって。
ニコニコ超会議に行って来た。疲れた。
先日、ニコニコ超会議とやらに行って来た。
結論から言うとあんまり面白くなかった。
というか、自分には「合わなかった」。
まず、人多すぎだった。2日間で15万人来場したらしい。入場するだけでも1時間は並んだよ。多分、このテの文化が好きだったりしたら、並ぶのも苦にもならないんだろうが。これは年齢や、期待度の関係かもしれないが、昔、自分が大好きなバンドのライブをみるために、凄い並んだ記憶があるが、苦にはならずワクワク感で一杯だった。
何をするにも並ばなければならない。
カワイイ小動物を一匹みるだけでも15分は並んだ。しかも後ろ向いて寝てたしね。あとは特撮模型で写真が撮れるブースも20分くらいは並んだ。人が多すぎで仕方ないが、
こういうブースが多すぎた。
あとやっぱり自分はオタク文化にイマイチ乗れないのだろう。来場者の年齢は若い。10代から20代前半がベースとなって構成されている。初音ミクとやらや、ボーカロイド、コスプレ文化をコンテンツにちょこちょこ入れてくるのが「良い」と思うことができない要因だったのだろう。
例えば、歌舞伎をやっていたのだが 、現代版歌舞伎ということで、初音ミクをいれてくる。初めて歌舞伎を見たのだが、初音ミクいらんなー、普通の歌舞伎観たいなーとか思ってしまう。
クラブ音楽みたいなのもライブやってたのだが、アニソン?風にアレンジされてる。いらんなー、普通にやってくれればカッコえーのになーって思ってしまう。 結局1番面白かったのは、ホリエモンとひろゆきらがやっていた討論番組だった。これだったらネットで観れるでしょっていう。 他にもドローンを動かせたり、ゲームできたりできるブースもあったのだが、どのコンテンツにもニコニコ文化の色が塗られていて、もしかしたら万人全ての人が楽しいと思えるコンテンツではないかもしれない。 まあ1番萎えたのは、人が多いのが理由だったんだけど。冬に読みたい漫画
正月が終わった。明日から仕事だ。
帰省していたので、東京行きの新幹線の中でこのブログを書いてるいるのだが、明日からの仕事いきたくねえーなあー。
年末年始は筋トレばかりしていたわ。何故か
で、なんか無性に「つげ義春」の漫画が読みたくなってきてる。
冬のこの寒い時期、暗くシュールで侘び寂びのきいたこの漫画家の作品は最高です。
ちょっと部屋のあかりを暗めにして、布団かコタツの中にでも入って全集などを読み返したらなんだか癒されますよ。
最近、つげ義春の近況が芸術新潮かなんかにインタビューとして掲載されたらしいですが、息子がひきこもりで、その息子の世話で忙しいらしいですね。なんかつげ義春っぽいが。
まあ、冬は温泉シーズンなんでつげ義春の漫画でも読みながら温泉街でゆっくりする、みたいなことをしたいですね。
- 作者: つげ義春
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/10/08
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